鳥類的雑記帳

色々と思っている事を書き連ねていくつもりです。

小諸なる古城のほとり……

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というわけで、そんなSideF的何かを書いて寄稿したわけですが、ヒロインたる鷺沢文香は、長野出身の読書家です。この合同誌の話が出た時、読書家の面を取り上げた話にしよう、と何となく思ったのでした。

 

長野、かつ読書家、ときて思い立ったのが「島崎藤村」です。現在は合併などによって岐阜県出身ということになりますが、その前なら長野県木曽郡出身の人。岐阜の人とするか長野の人とするか、どちらが良いかはよくわかりませんが、とりあえず「信州の人」という括りであることは間違い無さそうです。

 

島崎藤村の代表作に、「破戒」と「千曲川のスケッチ」があります。また、詩人としても活動しており、「千曲川旅情の歌」も有名です。実際の原稿にはその辺りを取り込んでお話を作ってみました。

 

千曲川と言えば、新潟へ続く信濃川の内でも長野県下を流れる部分を指す言葉です。特に「千曲川のスケッチ」および「千曲川旅情の歌」においては、長野県小諸市における千曲川を指します。

 

長野県小諸市は、長野県西部にあります。軽井沢の近く、あるいは上田の少し南、と言えば通じるのでしょうか。まぁ長野に住んでいる身からしても、何も無いところです。

 

藤村はそんな小諸で教鞭をとった事もあり、また前述のように小諸をモチーフにした作品も発表しています。長野県出身の読書家の少女を書く上で、これほど都合の良い作家も他におるまい、と思い、島崎藤村を取り上げたお話を書いたのでございました。この辺、設定がわりとゆるいシンデレラガールズだからこそ出来る捏造です。

 

で、そのための取材として、小諸市にある懐古園にまで足を運びました。県外の方が来る場合は、まず軽井沢あたりを目指し、そこからローカル線に乗り換えての旅になるかと思いますが、僕は車でざっと1時間半ほどで着きました。

 

日付は11月の初め。まさに紅葉の季節。その辺も狙って行ったのですが、懐古園は紅葉の名所としても有名です。そういう意味でも、興味がある人は一度行ってみると良いかもしれません。

 

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伝わらない二次創作

 新年に入ってから凄い小説同人誌を読みました。一言で表すと「ひどい」なのですが、別にお話がどうという事はなかったです。いえ、周りには話を嫌っている人もいましたが、僕はそれが最大の理由だとは思えません。

 とにかく訳がわからない状況の連続でした。作者が書きたいことの1割も伝わってこない。キャラの状況どころか、世界観すら行方不明になるとか、これ本当に二次創作の同人誌なのかと我を疑うくらいでした。

 では文章が上手くないのかというと、そうでもない。かなり癖が強いとはいえ、下手くそ過ぎてわからない、というものではなかったのです。

 

 そもそも小説における「つまらないと思われる原因」は、大きく分けて3つだと考えます。「文章がつまらない」「お話がつまらない」「説明不足すぎる」です。これについて考えていこうというのが今回の記事ですが、対象を二次創作に限ります。一次創作は色々と僕の手に追えないので、慣れ親しんできてなおかつ新年にぶち当たった問題作を基準に考えているからです。

 また、ここでいう「創作」とはSSを含め文章を使って物語を描き出すことだと考えてください。

 ともあれ、二次創作において「文章がつまらない」ということが問題になることはそうそうありません。文章で惹きつけるのは文芸小説の領域です。二次創作において必要なのは「最低限の読みやすさ」なのです。同じ文末が連続しないとか記号の処理をちゃんとするだとか、その程度です。二次創作の本場は広大なネットの海ですが、そこにいる読者からして文章の美しさを求めているわけではありません。そういう人は一般文芸の本に行くはずです。そうなると、SS書きに求められているのは、こういうくだらないブログを書き散らす程度の、最低限の日本語使用能力だけです。

 なので二次創作で問題になるのは後ろの2つですが、「お話がつまらない」というのは感想にはなれど、「これは最悪だ!」というほどの傷にはならないでしょう。そもそもSSと言っても色々あって、中身の無いイチャラブ物というSSもあるくらいです。少なくともネットに軽い気持ちで上げるSSにおいて、そんな深い中身を求めるのも酷な話だと思います。アマチュアがさらりと書く、という部分にも二次創作らしさはあるはずですから。まぁ、同人誌のようにお金など対価を要求する場合は、その限りではありませんが。

 二次創作において酷評され傷となり得る問題は「説明不足」という一点だと考えます。二次創作は本質的に原作から異なる要素を良しとする「懐の広さ」を、書き手にも読み手にも要求するものです。そういう状況で問題となるのは、そもそも何を受け入れれば良いのかすら分からない、ということです。これはキャラの動き方やカップリングといったほとんどの要素に絡みます。何でもアリな二次創作において「これはダメだ」と言われる原因のほとんどがこれだと思うので、もう少し掘り下げていきます。

 

 原作という1つの基準がある以上、説明不足という状況に陥ることは少ないと思われるかもしれません。しかし一次創作において細かい世界観を説明する手間が省けるというだけで、多くの事柄を説明する必要性は二次創作においても残ってくるのです。むしろ「原作を元にしているから説明しなくても大丈夫」というフィルターがかかる分だけ危険だと思えます。

 最も分かりやすい例が、原作ではほとんど接点の無いキャラクター同士のカップリングを書く場合かと思います。それ事態に問題があるとは思えません。Twitterなどで好きに妄想を呟くのは自由ですし、色々とやってほしいとも思います。けれど創作においては全く別です。読み手というものを意識しなければならず、その読み手と作者の間には必ず溝があるからです。言うまでもなく、その溝は「原作にないカップリング」という点です。当たり前ですが、読み手の出発点は原作であり、そこからどの程度の妄想を許容出来るかは個人に委ねられるとしても、かならず原作を意識しているはずです。そこへ「原作にはない要素」がねじ込まれるわけですから、必然的に溝となります。作者にはこれを埋める義務があるはずです。もしも無いのなら、読み手のいないチラシの裏にでも書けばいい話です。

 こういう溝は多くあります。原作IF物だとか、転生パロだとかそういうものです。もっと細々とした点でいうと、「原作の時系列で言えばどの時点になるのか」ということもあったりします。

 この手の溝がはっきりと意識されてしまえば、読み手は白けます。「こういう原作の二次創作を見たかったのに、この作者は頓珍漢な話をしている」と思われれば、読み手にとっては苦痛でしかないからです。だから書き手に必要とされるのは、原作を意識しているであろう読み手を、どれだけ溝を感じさせないようにしながら自分が書きたい話に導くか、なのです。

 溝が大きい作品を作る人には、時たま「好きだから良いんだよ」と言う人がいます。それはそうなのですが、僕が言いたいのは「やるな」ではなく、「説明をしろ」という点なのです。良いとか悪いの話はしていません。その人が言う「好きだから」という部分が全く読み手に伝わらないのが問題なのです。せっかく作者さんが好きだと声高に言う要素なのだから、もっと具体的に「好きだと思う理由」となる部分を説明してれれば良いんです。「この原作でこれはこういう部分だったから、僕はこうなると思う。だから好きなんだよ」という事さえ言ってれれば、ほとんどの問題は解決します。

 はっきりと言いますが、原作に無い要素(例えば原作に無いカップリング)を押し出して、その要素自体に文句を言われた場合、それは作者の説明が下手くそだからです。受け入れて貰えなかったとかそういう問題じゃありません。説得するための言葉を尽くせなかった作者の問題であり、それは文章を中心とした創り手としては落第と言うべき事態です。「面白い」とか「好きだ」と自分で思っている事を伝えられないという、決定的な能力の欠如です。

 この問題は「話の展開がつまらない」と良く似ていると思われるかもしれませんが、少し違います。「話がつまらない」とは、読み手が作品の状況を理解できても、面白いと思ってくれなかったということです。キャラの動きや心情が理解可能であったとしても、読み手の感性を動かすほどでは無かったということです。一方で「説明不足」とは、そもそも読み手が創作の意図を根本から理解できないという場合です。そもそもどうしてそのキャラがそこにいるのか分からないだとか、ひどい場合は本当に自分が知っている原作のキャラと同一人物なのかすら疑わしい、というレベルの話です。言ってみれば、「説明不足」は「話がつまらない」以下の問題なのです。

 許容できるキャパが全体的に大きい二次創作において、「話がつまらない」は「悪い」とまでは言われません。二次創作において悪い創作物とは基本的には「説明不足すぎて作者の考えがまるで分からない」という物を指します。いわゆるU-1だとかメアリー・スーあたりが代表格です。繰り返しますが、主人公が最強になったりするのが悪いわけじゃありません。作者がそれを良しと思った理由が伝わっていないのです。もっと言うならば、あえて原作を無視した要素を入れた理由が、読み手にはわからないからです。

 二次創作を読みたい読者のほとんどは、原作という足場から出発しています。けれど唐突にその足場が失われれば、戸惑いそして深い闇に落ちていくでしょう。それを嫌うからこそ、読み手は原作からどうその二次創作物へと続いているかを気にするのです。書き手は少なくとも、自分が書きたい話へと誘導するハシゴくらいはかけてあげなければなりません。

 

 原作を無視した要素とは、その作者が自分で書きたい要素、とも言い換えれるかと思います。だからこそ、それを読み手へと伝える努力を怠ってほしくないと思います。せっかくその人が「面白い!」と思った要素なんですし、伝わらなかったらどちらにとっても損でしかありません。そういう意味でも、説明をしない二次創作こそが悪い、と言えるかと思います。

 この問題の解決に具体的な処方箋は僕の中にありませんが、とにかく「伝わっているか?」と一歩引いて考えてもらうのが大切だと考えます。思った以上に自分が考えている情景は相手に伝わっていないと、自らを戒めることだけが解決に繋がるのではないでしょうか?

 

 説明をきちんと言葉を尽くしてしているのならば、よっぽどの事が無い限り、「お前のSSは駄目なSSだ」とは言われないでしょう。あと経験談ですが、とにかくきちんと説明しようとすればだいたい文字数も多くなって「濃厚な作品」と言われる頻度が増します。

 相手が同じ原作を知っているからと油断していないか? と問いかける所に、大切な何かがある気がしてならないのです。

 

シンデレラガールズ二次創作のプロデューサー像に関して思うこと。

 どういう流れだったかはいまいち思い出せないのですが、Twitterでこういう呟きをしました。自分が二次小説を書く時に、何を基準にしているのか、というお話です。

 

 

 今回はこれについて書いていきたいと思います。シンデレラガールズどころかアイマスに入ってまだ一年くらいなのですが、その間に感じたことの総括という意味も込めています。

 議題「武内PとオリPの間にある差は何か?」

  昔から飽きるほど取り上げられている話だとは思いますが、アニメ版シンデレラガールズが放送開始になって1年というタイミングで言い出した、新参者なりの意見として聞いてもらえればと。

 

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